花鶏と濫觴

放課後の帰り道、大きな川を跨ぐ橋の上で、彼女を見つけた。 校内でのやり取りを思い出す。青空の隣で詩を書いていた彼女。その詩は難読漢字だらけで読めたものではなかった。 彼女の名は柏宮花鶏(かしのみや あとり)。今、花鶏は橋の上から川を眺めている。 邪魔するのも悪いので、花鶏の隣を通り抜けようとする。 「おや、君はあの時の」 気づかれてしまった。悪いことをしたわけではないのにびくっとする。 ここで何をしているのか尋ねた。 「詩の題材を探してる。広い空、大きな川……。詩の題材の宝庫だよ」 花鶏はそう答えた。詩にしっかりと向き合っているのだと感じた。 「この川を見てると、濫觴って言葉を思い出す」 ランショウ? 「濫觴は、物事の始まりって意味。どんなに大きな川も、その始まりは杯を浮かべるほどの細さしかないっていう故事がある」 今、僕たちの足元を流れているこの大きな川も、始まりは細い水の流れなのかもしれない。きっと花鶏はそんなことを思っていたのだろう。 「熟語には、歴史が詰まってる。そういうところを知るのも、楽しい」 花鶏は手帳を取り出し、書き込み始めた。何を書いているのか尋ねると、 「これは気に入った風景、気に入った言葉を、忘れないように書き留めておくもの」 とのことだった。見てもいいかと聞くと、 「まだ君には見せられない。これは私だけの宝物だから」 と断られた。僕には知ることができない彼女の秘密があるらしい。 「君も君だけの言葉ノートを作ってみたらどう?そしたら、言葉の交換もできるかも」 花鶏はそう言って、くひひと笑った。 僕は別れて家に帰った。 面倒くさがりな僕が言葉をメモするノートを作るのは、まだ先の話である。